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対談「焚火暮らし、ひとむかし‥」

1997年1月18日、1997年大会の研究会の一環として開かれた対談の概要を収録しました。
対談者は、焚火インストラクターの故・杉田光登氏と、元営林署勤務の川口哲夫氏です。司会は、故・白井好知氏です。

司会(白井):    ここにおられる杉田さんは若い頃から山で仕事をされて今日までこられています。
前回の時、昔の山での思い出話をされましてそれが非常に面白かったので、今日もう一回してもらったらどうかということでございます。
スケというものを江戸時代に売って歩いていたということです。たぶん杉の木を小さく切ってかまどで焚く材料を持って歩いていたのだろうと思います。
そういったところで昔話を最初に少ししていただけたらと思っております。杉田さんお願いします。

杉田:    昔のことを話すとなると、田舎では火が一番思い出になるんじやないかと思います。
山で焚火をするのに普通マッチ1本あれば、つけることはできますが、雨が降れば乾いたものがないので、なかなか燃えつきません。初めから大きなことをやったのでは燃えません。戦中戦後のマッチのない時に、火打ち石で火を出して、パンヤに火をつけて、杉の葉や檜の皮をもんだのか何かに吹き付けるんです。
火というものは生き物だと私は思うんです。いったん火になってしまうと大きくなろう、大きくなろうという性質を持っております。そのものをうまく利用して、その性質を生かしていくのが火を焚くコツではないかと思います。
山に入った時に一番先に教えられたのが、火は魔物よけであって、山に入ったら火のあるところには魔物がこないのだそうです。焚火は山仕事では絶対にかかすことのできないものだと思います。

川口:    普通、焚火というのは寒いから手をあぶろうじゃないかという焚火がほとんどでした。これは昔の記憶ですが、私は小学校の3年くらいから山に行かないといけないということで、山に行って火を焚いてもらって、時にはいもとかを焼いてもらって、それをほうびに仕事せ−、仕事せ−といって仕事をさせられたものです。
ただ一番私の記憶に残っている焚火で面白かったのは、冬になって雪が降りますと、ハイズミを焼くということをやっていました。ハイズミといったら、炭を焼くことなんです。前の日に下木を切り、直径2mくらいで、中の深さが50cmくらいのおわん型に大きいような木を下に入れ、上に小さい木を立てて火をつけまして燃やして、火の勢いがよくなりだしますと次から次にあまり上に火が出ないように燃やし、最後は雪をまぜて消して、それをワラで作った入れ物に入れて背負って帰っていました。
帰る途中に十分に火を消せば水がたくさんかかるので炭が重たくなるんです。これくらいでいいだろうといって帰ると後ろが火が出て、困ったことがあるんです。普通の焚火とは違いますが、参考になればと思ってお話しました。

杉田:    いま川口さんが言われたハイズミ焼きですが、あのような火の焚き方を後で実演しますので、見ておいてください。
前に生草を処分するのにほっておいたら芽が出てくるので、下に燃えるものを置いて上に生の草をかけて焼いていたら松波さんが目に入りまして、こりゃおもしろい焼き方をやると思われたのでしょうか、それを別の方に話されて、またその人がそれを教えてくれということでした。
いろんな焚き方が用途によって変わってくるわけです。ただ1人や2人でするものであればわずかな火でいいし、人数が多ければ多いような火にしないといけない。
さっき私が言った囲炉裏ですが、囲炉裏の火はまた焚き方があるんです。薪を切ることだけでも火を焚くのが上手、下手が出てくるんじゃないかと思います。

川口:    昔、囲炉裏のことをユルイと言っていました。家の中間へ3尺角くらいの穴をあけて、下に石を積んでそこで火を焚いて、やかんをかけたりしてお茶などを沸かしたりしていました。

杉田:    クドと言うのは、それから3尺下がって、火を焚いたら湯が沸くように真ん中に炉があって両方にかまどがあって、おかずを煮たり、ごはんを焚いたりしていました。女の人はこっちではユルイに火をつける、こっちではおかずをするといったように一人で二役、三役もやっていたものです。

川口:    昔は土間にクドがあり、居間の中に囲炉裏があるんです。囲炉裏に火を焚きながら、その周りに座って食事をするというのが昭和20年代後半くらいまでだったのではないでしょうか。
電灯がついたのは昭和11年か12年頃だったと思います。昔は大人の履物といったら下駄か草履だったんです。雨の日は下駄、晴れの日は草履でした。それで囲炉裏の火の明かりとランプの明かりで夕飯を食べた後、草履を作るんです。
どっちが先だったかよくわかりませんが、地下足袋がはやり出しまして、子どもにはゴム靴が出てきて、だんだん草履がいらなくなって、夜なべがなくなったんです。そうすると火を焚く必要がないので、囲炉裏をそのままこたつにしたんです。

白井:    焚火談議ということで、焚火を焚いてもらって手をあぶりながら、顔を赤くしながら話してもらうと意見がたくさん出るんじゃないかと思いますが、今ここで焚火を焚くわけにはいきませんので、後で場所を変えて焚火を焚くということなると思って気軽にお話しいただければと思います。

滝口:    私たちは焚火で大きくなりました。焚火で暖をとるのも焚火だし、食をとるのも焚火。風呂も焚火の内でした。一番大きな焚火をしたという記憶は、雨ごいの焚火です。昭和16年頃だったと思いますが、村中の人が薪を背負って山の頂上にもっていき、そこで火を焚いて雨ごいをするんです。これも理にかなっておることで、これも昔の知恵だったんだろうと思います。
それから先ほども話にありましたが、火というのは木に火をつけるわけですが、木は固形ですので、固形が燃えるわけではなく熱分解して初めてガスができ、そのガスに火がつくわけです。分解するまでの熱が大切なわけです。
大きなしかけにしますとたいへんな熱がないと火がつきません。ですから小さいしかけにして、マッチか何かで熱を加えてまず分解させて、火をつける。火がついたらその勢いでどんどん大きくしていくというのが焚火のコツですので、おっしゃる通りだと感心しておりました。
たばこに火をつけるのにも、火打ち石で火をつけてフッと吹くと言われましたが、これも息を吹くということで酸素を供給するから火が大きくなるんだなと思います。炭焼きでもそういったことが基本になりまして、熱を加えて分解するようになった時に酸素の供給量を減らしていって炭素だけ残すというのが炭焼きでございます。

寺内:    私は実はここのところ毎日焚火をしております。というのは裏山の杉や檜の枝を焼いております。先ほども杉田さんがおっしゃったようになかなか火つけは難しいなと思っております。
昔はずいぶん焚火が実用的であったし、生活にはなくてはならないものでしたが、いまはそうでなくなった。
子どもの頃もそうでしたが、松明を束ねたり、薪を束ねて金具でしばって、川を照らすと魚が移動し、それを取るなどしていました。
それから成人の日はとんどというのがありますが、沖の河原で今年も大とんどというのがありました。
孟宗竹を150本くらい切り出してやりました。今年も広島市内からご夫婦が来られていました。毎年神社の破魔矢を持ってきて焼いてもらっているんだという話をしておられました。焚火をしてきた事を思い出す中で何とかまちおこしにも活かせないかと思いはしております。

白井:    ありがとうございました。

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