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自然と調和した焼畑の技術

会員の佐々木章さんの、焼畑レポートです。

自己紹介を兼ねて、宮崎県椎葉村の焼畑を紹介しましょう。

私は、高校まで広島市に住んでいましたが、大学時代に椎葉の焼畑に出会ってから、椎葉に日帰りできる範囲ということもあって、大分に住んでいました。焼畑のどこに惹かれたのかというと、それまで原始的で自然破壊の農業と漠然と考えていた焼畑が、実は環境に配慮し、生態系を熟知したうえで成り立っていたことに気づいたためです。椎葉の焼畑の実態を、もっとも一般的な「置きヤボ」を例に、見てみましょう。

椎葉は、宮崎県の北西部、九州山脈の中央部にあり、尾根を越すと熊本県の五家荘になります。いずれも水田はほとんどなく、焼畑で生活していた村でした。
焼畑は、毎年拓かれ、数年間ほど作物を栽培して数十年ほど休閑する農法です。焼畑のことを椎葉では「ヤボ」あるいは「コバ」と呼びます。「籔」、「木庭」の字をあてることがありますが、いずれも焼畑で作物を栽培したあとの休閑期間の状態からの命名と思います。集落から2時間以上歩いて通う場所に焼畑を作ることもありましたが、置きヤボは比較的に便利の良い場所に拓きます。


<参考文献>

おばあさんの山里日記(佐々木章・椎葉クニ子)葦書房. 1998[ISBN4-7512-0710-5]

宮崎県椎葉村で焼畑についていろいろ教えていただいた事柄を「おばあさんの山里日記」にまとめてから15年。
ながく絶版状態が続いているので、そのうちの一部をEPUB形式の電子書籍にしてみました。読んでみてください。

「置きヤボ」の作業

ヤボ焼きの順序


ヤボ伐り(前年の秋)

数十年を経て森林に回復した休閑地を秋に伐採します。焼畑で雑草になりやすいスズタケの筍が出尽くして、夏の間の栄養分が地下茎に蓄えられる前の時期です。一般に、タケを絶やすためには、数年間にわたり彼岸のころ伐採を繰り返すというもの同じ原理です。

ヤボ払い(当年の梅雨明け)

前年の秋に伐採しておいた場所には、スズタケが芽を出しています。伐り株からは萌芽も見られます。これらを切り払って、焼きやすいように、前年切り倒しておいた木を枯葉の間から引き出して均等に並べます。このとき、焼畑の周囲の木を内側に投げ入れて、2間ほどの「クロ」を作ります。

置きヤボの写真-1

焼く前の祈り


火を点ける


置きヤボの写真-2

上部に火がまわったところ


徐々に焼き下ろす


置きヤボの写真-3

鎮火‐シロモジが立っている


キザネ焼き・ソバ蒔き(多くはヤボ焼きの翌日)

焼け残りをキサネといいます。木核の意味でしょう。数箇所に焼け残りを集めて焼きます。その後、ソバをばらまきします。蒔いたあとを山鍬で軽く灰交じりの土をかけていきます。ヤボが広く、手を抜く場合には、スズタケで作った即席の箒で灰をかき回すだけのこともあります。「マッコミ(巻き込み)」とよばれます。
ソバは「土用に3日かける」といわれます。立秋は8月8日ころで、その前3日といえば8月4、5日ころになります。これはソバの性質と初霜の時期に関係することで、場所によっては「土用に5日」とか「2そう(立秋後2日)」とかソバ蒔きの適期が言い伝えられています。「ソバは75日」といわれ、2ヶ月半で収穫です。秋ソバは遅く蒔くほど開花結実が一斉になり、収量も多くなりますが、例年、10月20日を過ぎると霜が降りて生育が止まります。その75日前は、ちょうど8月6日にあたので8月4、5日ころに播けといい伝えているのでしょう。

ソバ撒き


ソバ刈り(10月下旬)

ソバは生育が旺盛で、生育期間が短いこともあって雑草は少なく、草取りなどの管理作業はしません。ソバを刈るのは、実の色が8割がた黒くなったころです。根元から刈り取って束ね、地面に立てかけておきます。ヤボ伐りのとき、シロモジが生育していると、目の高さより少し低いくらいに伐っておくので、それに掛けることができれば、砂や小石が入らないで良く乾燥します。皮が焼けたシロモジは2年目に切り取って、ヒエを乾燥する薪に使います。火力は強いのに炎が少なく、乾燥中のヒエを焼いてしまう事故が少ないので重宝します。
1〜2週間乾燥したら、比較的に平らな場所に集めて、棒でたたいて脱穀します。手箕でより分けて背負って帰ります。

ヒエ蒔き(翌年5月下旬)

椎葉ではヒエが主食です。ばら撒きして、鍬で薄く土をかけます。アワを蒔くときもありますが、アワの場合は少し遅れて6月上旬まで蒔けます。

草取り(8月)

夏の間に草取りをしますが、丁寧にするときは、6月下旬にも草取りします。

ヒエ刈り(10月中下旬)

鎌を使ってヒエを根元で刈って、束ねたヒエを12束くらいづつ積んでおきます。秋の収穫作業が一区切りしたころ、小刀で穂を摘んで持ち帰り、倉に保存しておきます。

ヒエこーかし・ヒエ搗き(冬の間)

大きな篩のような「アマ」に入れて、下から火で乾燥し、臼と手杵で、明治以降は、から臼(湯来の台唐のような道具)で脱穀し、手箕、あるいは唐箕で選別してから、さらに殻を剥いて精ヒエにします。このときの作業歌が「稗搗き節」です。アズキと物々交換で手に入れた米と混ぜて食べます。

アズキ打ち(3年目6月上中旬)

ヒエのあとは雑草が多くなっています。アズキは、草の中に蒔いて、草ごと鍬で打ちます。このころになると、少し土が軟らかくなっているので、鍬で耕すことができるようになります。

アズキ刈り(10月中下旬)

在来のアズキは生育が旺盛ですが、ヒエと同じように、草取りして、刈り取ります。乾燥してから、叩いて実を外し、背負って帰ります。アズキはヒエと炊いて主食の一部とします。正月前に、丁寧に選別して、特に良いものを湯前・人吉方面に担いでいって、米などと物々交換します。

ダイズ蒔き(6月下旬〜7月上旬)

土がこなれてないと、発芽不良になるので、鍬で耕してから種まきします。

ダイズ刈り(10月中下旬)

ヒエなどと同じように、草取りして、刈り取ります。乾燥してから叩いて、実を外し、背負って帰ります。冬の間に味噌を作ります。来客どきや祭りなどでは豆腐を作ります。神楽の時、射止めた猪肉を供えますが、獲れなかったときは豆腐で代用できると言い伝えられています。

荒らし(その後、20〜25年)

休閑中、ワラビをとることもありますが、途中で作物を作りことはありません。

伝統的な焼畑の知恵

この輪作順序は決まっていて、これも合理的な選択です。焼いたあと、すぐに収穫できるソバを栽培し、翌年は主食のヒエを栽培します。雑草も増え、土地がやせ始めた3年目以降には、根粒菌の作用で痩せ地でも育つマメ科が入ります。雑草が多い3年目はアズキ、4年目は、柔らかくなった土地を選んで蛋白質の多いダイズを栽培しています。

今回紹介したのは、ごく一部ですが、伝統的な焼畑の中に込められている知恵を理解していただければと思います。

2010年12月 佐々木章

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