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焚火のつく名前

お店の名前

焚火屋、焚火家、焚火亭、焚火バー、焚火処など、お店の名前に焚火を使った例は全国にたくさんある。居酒屋、焼肉屋、カフェなど。いずれも飲食店である。
北軽井沢浅間牧場の「かもしか焚火食堂」は、スウェディッシュ・トーチ(当学会で「樵の蝋燭」と称する火)を用いて自分で食材を焼くスタイルなのだそうで、一度お邪魔してみたい。

清酒辛口純米「焚火」シリーズというのもある。愛知県幡豆郡幡豆町の「尊皇蔵元」山崎合資会社が販売するお酒。これも一度味わってみたい。

歴史的な名前

アウトドア系の企業や団体で「焚火」を使ったものはいくつか散見されるものの、地名など歴史的な名称は意外と少ない。

なかで、「焚火之間」というのを見つけた。
松山城二之丸御殿の大井戸遺構の中に、その基礎部分が残存しているという。「焼火之間」と書いて「たきびのま」と読む部屋は各地にあって、囲炉裏を切ってあったからとも、火除けのためとも言われるが、江戸城、仙台城、高島城、津山城などが挙げられている。
江戸城の本丸御殿焼火之間では、皇室への進献品を製作した職人の行賞なども行われたという。

同様に「焼火」と書いて「たくひ」と読む例では、島根県隠岐郡西ノ島町の焼火山、焼火神社がある。
焼火山は標高451.7メートル、その中腹の岩窟に入り込むように焼火神社の本殿が構えられている。かつては「焼火社」「焚火社」「離火社」(いずれも「たくひのやしろ」)とも称されたという、天照大神を祭る立派な神社で、全国に分社がある。
ここも、一度訪れてみたい。

神社では、その名も「焚火大権現」が岡山市南区小串米崎東谷の高台に、児島湾を眼下に望んで祭られている。洗磯大明神(少彦名命とも)を祭神とする埼玉県加須市川口の洗磯神社には、火伏せの神として焚火大権現が合祀されている。
さらに、福岡県遠賀郡蘆屋町蘆屋にはずばり「焚火神社」がある。町なかに埋もれた小さくてかわいい無格社ではあるが、われらが聖地と思いたい。
焚火神社の祭神は火産霊(ほむすび)神、カグツチいわゆる火の神様である。

火はそれ自体神聖なものであるが、焚火は土器をつくり、金属を精錬し、延焼を防ぎ、さらに沖を行く船の安全を守る。
かつては、わざわざ社を建立する焚火信仰というものもあったのである。

三角点

庄原市東城町には、「焚火山(たくひやま)」がある。こちらは標高622メートルで隠岐よりも170メートル高いものの、山城の跡はあるけれど、とくに社などはなく、かわりにテレビ中継局の鉄塔(6局)がある。名称の由来はよくわからない。
ただし、山頂に三等三角点がある。その三角点の名称は「焚火」である。
全国に一等から四等まで約110,000点ある三角点のなかで、「焚火」はおそらくここだけであろうから、ということでここに掲載。

薪の地名

「薪」を冠するよく知られた地名では、薪河岸(まきがし)がある。
薪屋が集中していて薪の積み下ろしや集積を行った場所というのが由来であろう。
いずれも消滅しているが、東京の麻布、京橋、湯島天神近くの神田川などの記事が散見されるし、幕末にヒュースケンが攘夷派に襲われたのも芝薪河岸の中の橋であった。横浜の富岡八幡宮の近くにも薪河岸と呼ばれたところがあって、歴史探訪コースにはいっている。
薪はかつて重要なライフラインだったわけだから、江戸周辺だけではなく、都市部には必ずその集積場があって、そのうち薪河岸と呼ばれた場所も多かったのではないだろうか。

「薪(たきぎ)」という地名が京田辺市にある。
児童数615名の「薪小学校」があり、学校便りは当然「たきぎ」。1629年の板文が奉納された由緒ある薪神社もある。
鎌倉時代の岩清水八幡社の荘園であった「薪荘」もしくは「薪御園」が発祥らしく、地図を見ると地区内には薪を冠した地名が山のようにある。薪赤坂、薪狐谷、薪城ケ前、薪斧窪、薪百々坂、薪甘南備山、薪城ノ内、薪小山、薪狭道、薪井出、薪溜池、薪西浜、薪名松、薪薊、・・・・・まだまだあって、とても書ききれない。



ところが、ほかに探してもこれ以外に「薪」のつく地名は見あたらないので、ここだけかもしれない。
薪河岸はほとんど消滅しているし、薪はほかに見つからないし、さらに焚火神社も焚火山も数えるほどしかない。
焚火の文化も、焚火信仰も、すでに遠い過去のものとなってしまったかのようだ。

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