このサイトは Google Chrome に最適化されています。 ほとんどのブラウザで見ることができますが、IEだけは保証できません。

お知らせ

最近の更新

日本都市計画家協会機関誌「都市計画家」'96秋12号  「広島から」

(前略)・・・・・・
さて、「日本焚火学会」の話しである。
4年ほど前のこと、友人たちと、焚き火研究会をやろうかという話しになった。どうせなら「学会」と詐称しよう、どうせなら「日本」をつけよう、どうせならちゃんとした「学会印」をつくろう、ついでに学会印を会長にしてしまおうという風に話しが膨らみ、焚き火インストラクターとしてわが家の近所のおじいさん連中をまきこむことにした。
近所というのは、広島市から道のりで30kmほど西に行った広島県佐伯郡湯来町の水内(みのち)地区というところで、昔は林業と温泉で食っていた山村である。おじいさんたちは、多かれ少なかれ山仕事の経験ないし素養をもっている。
それでは第1回ということで、薪を燃やして鍋もつついて、ついでに学会にふさわしくミニフォーラム的な会合もしてと企画したところ、広島市内の住民を中心に5〜60人の人が集まった。当日、数人のインストラクターたちは早朝から山にはいって20種類もの薪を採ってきてくれた。それをずらりと弧状に並べて「これは燃やすとパチパチいいます」「これはよい匂いがします」「これは”オキ”が残りません」・・・と講釈しながらひとつずつ燃やしてくれる。
目の覚めるような講義であった。町の連中も驚いてしまった。
焚き火というのはキャンプファイヤーのことをいうのではない。それは、必要と、得られる材料と、まわりの環境にあわせて火を使う技術のことである。例えば刈草のように炎を出さないで燃やすことが求められる場合もあれば、雨の中で暖をとるような必要もある。伐採跡の山を焼く時のように、他に燃え移らないでしかも効率よく燃やすのには技術が必要だ。
こういう技術がおそらく何10万年も連綿と継承されてきて、現在も日本の国土保全を担っている。想像できるようにおじいさん連中はそれを「つまらない田舎の生活手段」としか思っていない。
以来「日本焚火学会」は不定期ながら研究集会を重ねてきた。都会人たちが眼をみはるのを眺めるもの楽しいが、その日はとくにインストラクターたちの背筋が伸びて生き生きとしているのを見るのが、もっと楽しい。針の穴ほどかも知れないが、「日本焚火学会」は田舎の暮らしの意義を確認する運動だと思っている。
・・・・・・(後略)

(文:松波龍一)

inserted by FC2 system